All I need is one sun

日常を日常らしくするためのライティング。

学校ぐらし

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日本にいると学校がなんのためにあるのかわからなくなる瞬間がたまにある。

自分は、両親から「この学校に行け!」とか「大学に進学しろ!」とか一度も言われたことがなくて、自分の意思で進学することを選択して、行きたい学校を探した身だから偶に学生が”就職するため”だとか”とりあえず学校には通っている”って話しているのを聞くとなんだか悲しくなってしまうことがある。

 

でも、彼らがいう意味もわかるのだ。

なんとなく、人生のレールのようなものがあって

それが無意識のうちに頭の中にあって

心を支配していく。

 

それは

両親がきっかけだったり、親しい友人だったり、尊敬する人がそう話してくるから気がついたら、学校に行くことが、大学に進学することが、就職することが人生のゴールになっていく。

 

人生のゴールとはなんだろうか。

夢を叶えることか、目標を達成することか、大金持ちになることか、家庭を築くことか。ゴールは人それぞれ違うだろう。にもかからず、ゴールに向かっていくレールが同じであると考えるのは何故なのか。

私たちが当たり前のように感じていた、レールはそんなにも強力なのか。

中学を卒業して、高校に通って、大学受験をして、大学を卒業して、就職活動をするこの1本のレールが無敵なのか。

人のゴールがその人の数だけあるはずなのに、1本のレールに固執する必要はどこにもないように感じてしまう。

 

そういうのはお金がある人が言うことだ。

とか

自由に生きることが許されてる環境だから。

とか言う人もいるだろうが(偶に、女だからそう言うことが言えるんだと言う人もいるが)

本当にそうなのだろうか。

 

うちの家族は言うほどお金持ちな訳でもない。

確かに、大学まで進学させてくれたからある程度の収入が見込める家なのは確かであるが、言ってしまえばうちの両親は大学を出ていないし、会社員でもない。

父と母は冠婚葬祭用の服しかスーツは持っていないはずだ。

まあ、うちは子供が家を継ぐ必要もないし、両親に過度な期待を受けて育っていないから、どちらかと言うと野放し飼育を受けてきて、その分全てが自己責任だったのが強いのかもしれない。

 

行きたいところ、欲しいもの、全ての選択は自分自身が行い、お金は自分の力で手に入れ、知識は自分の時間を割いて培うものだった。

その分死ぬほど後悔もした。これは私の弟も同じ経験をしただろうと今は感じている。

もっと早く行動すればと後悔したり、もう1つのルートを選んでいればと妄想したりする。

 

最近面白いなと感じたのは、

どんな選択をしても、意外と好きなものって変わらないと言うことだ。

私の場合、好きなものを好きなだけ自由にやってきた身だが

結局変わらずにあった”夢”のようなものに向けて一歩足を踏み出したのは今年に入ってからだ。

遠回りした分、人よりもできることが増えた。

豊富な知識も培うことができた。

それは、自分が多くのことに時間をかけ、手間をかけたからこそできたことだと感じる。

 

この先私に待っているのは

私と同じように”本当に学びたい”と思ったからいる人たちとの出会いなのだろう

そう考えると、人生のレールから降りた私の歪みはむちゃくちゃ面白いことになるんじゃないかって思えるのだが、どうだろうか。