私が忘れていた自分と、私がなりたい自分。
先日友人に会って言われてしまった。
「学生時代に、貴方が言わないような言葉を言うようになった」と。
その瞬間、ハッとしたのだ。
街と恋は、人を簡単に変えさせるのだと。
私が、学生という身分を返上して辿った道は、幼くも未来を期待し、毎日が輝いていたあの頃の自分に見せられないようなものだった。
人間の欲望が渦巻く世界に足を踏み入れ、私が人の汚い部分を笑って受け流せるようになってしまったとき、友人は結婚していた。
どんな理不尽な目にあっても、辛いことがあっても、明日が来ることに絶望しない。
それが、私だった。
自分像をしっかりと持ち、アイデンティティと重んじながら、自他共に厳しくいた私。
誰がみても、クールでカッコよかった私はいなくなっていた。
きっと、疲れていたのよ。と、私の中にいる天使はいう。
いいや、甘えて逃げてたんだ。と、私の中の悪魔はいった。
どちらも正解で、気がつけば私は明日を見ることが怖くなっていたのだ。
それは、よくない。
私の好きな私ではない。
ならば、私が好きな私になろうじゃないか、と思い、いまこのブログを書いている。
私が好きな私。
今後、私がなりたい私はなんだろうと考えた結果。
o私は、輝く原石。月島雫のような、荒削りな石である。
これから、沢山削って、磨いて、美しいダイヤモンドになろう。
と、いう結論に至った。
自分が、石だと思えば、もう過去の過ちを傷だと考え毎日悔し涙を流すこともないだろう。
もし、この先また自分が傷ついたとしても、"過ち"だと思うことがあったとしても、それもまた、ダイヤモンドになるための通過点だと考えられる。
分かりやすく言うなら、自ら光り輝く星になればいいのだ。
春も夏も季節問わず、朝も夜も関係なく光に反射して輝くダイヤモンド。
ほんの一筋の光で、何倍にも輝ける。
そんな私になろう。
数ヶ月前の私は、好きなものを好きとも言いづらく、
自分を否定し、他者に依存することしかできなかったが、
そんな自分から脱却し、自分を肯定してあげようと思う。
自分に厳しく、他者に厳しく。
そして、自分を大好きになるのだ。
私が大好きな私になることで、自分を卑下することも、他者に依存することもなくなるはずだ。
そうなるために、まずは自分の中の理想の女性像や、生活をあらためて見よう。
やりたい趣味を全力でやって、友人と楽しもう。
そして最後に、
もう何があっても逃げ出さないこと。
2021.11.20