「1本あげるよ」
たまの休日を1人でなく、誰かと過ごすとしたら自分のタバコを1本あげられるような人がいい。
昨年の10月からたばこ1箱の値段がまた値上がりしたおかげで、私のご贔屓が450円になってしまった。
他のメジャーラインと比べるとまだ安値と言えるかもしれないが、少しの値上がりも心と財布には大きなダメージだった。たとえそれが2、30円の変化だとしても。
タバコは1人で吸うのも愉しものだが、誰かと一緒に吸うのも別の愉しみがあるように思う。
とりとめもない話をして、談笑する傍で煙る空気がなんともロマンチックに感じるのだ。
もし友人が喫煙者でなかった場合、急に心が寂しくなるように思う。
そして目の前にある灰皿に溜まった吸い殻をみては2人でいるのに1人になってしまったような妙な孤独感に苛まれる。
だからこそ、しがな休日を共に過ごすのは、タバコの愉しみが分かる人であって欲しいと思うのは傲慢だろうか。
このほんの数分間でも、苦くも甘い幸福な呼吸を共感できる喜びを分かち合える相手であれば、22円になった貴重な1本を笑顔で手渡せるような気がする。
もちろん
吸えない人が嫌いと言うわけではないし、
ヘビースモーカーなわけでもない。
でも、
1本の有り難みを分かる相手の方が、
休日の1分の有り難みも分かるような気がしてならないのだ。