トッケビ
Netflixやamazon primeで見たい映画やドラマが思い浮かばない時、トッケビを流しがちになる。韓国で放送してから随分とたつが、いまだにあのドラマが大好きだ。
너와 함께 한 시간 모두 눈부셨다
날이 좋아서 날이 좋지 않아서
날이 적당해서. 모든 날이 좋았다
トッケビにはドラマを華やかに彩るセリフが多くて、全ての話が脳裏に焼きつくようなドラマと言える気がするのだ。
特に、このセリフは、トッケビのストーリーの中でも記憶に残っているセリフだった。
最愛の人との別れを覚悟した時、こんなことを心から思うことができるのだろうか。
このドラマを見るたびに感じるのは、結局のところ相手を信じ続けることが愛なのではないだろうかと言うことだ。
相手が何者であっても、自分にとってかけがえのない人で、
相手にとって自分がかけがえのない人であることを信じ続けるのが、
愛なのかもしれないと。
私はまだ愛とは何なのか正しい答えが出せないけれど
顔や容姿、性格や趣味、スペックで相手を判断したり、好きになったりするのではなくその人過ごす時間や、その人の前での自身の態度を振り返って、どれだけ居心地がいいのかで判断してもいいのではないだろうか。
相手の前世が何者であろうと、相手が人間であろうとなかろうと、自分の気持ちに正直になって、誰かをまっすぐに信じ続ける登場人物はとても美しくて、
そんな人間関係をドラマチックに彩る音楽がまた、悪酔いしそうになるほど魅力的なのだ。
気がついたら、i phoneの中にある、トッケビostプレイリストの再生ボタンに触れてししまうのである。
切なくも、美しく、そしてあたたかな愛の物語は、放送終了してもなお多くの人々から愛され、好まれる名ドラマと化したのも当然と言えるだろう。
ちなみに私はsunnyが好きだった。
MAMI'S PLAYLIST
つい最近、友人の1人がプレイリストを作ってくれた。
K-HIPHOPが好きな彼女の2018年版おすすめリストだった。
流れるような美しい字を書く彼女からもらったリストには、彼女の好みが色濃く伝わった熱いラインナップだった。
K-HIP HOPと言う、コアなジャンルを愛する彼女が厳選した2018年の総まとめとも言えるリストは、良曲ぞろいで、そして彼女らしいプレイリストだった。
人から、音楽を進められることはあっても、プレイリストをもらうのは初めてだったので、なんだか自作のMDをもらうような気分だった。
かつて、ipodやCDが生まれるよりも前の日本でブームになったMD。
自分のCDを使ってデッキから、音楽を録音しMDに溜めていく行為はアナログで、人の温もりが強く残る。
一度作ってしまうと、宝物のように大切にしたくなる傍で、人に聞かせたくなる衝動にも狩られる憎い奴だった。
そんなMD文化にもよく似たプレイリスト文化。流行んないかなあ。
彼女からもらったプレイリストは、私のapple musicに大切に保管され、1日に2度は再生されている。
彼女の熱意がこもったプレイリストは、彼女の片割のようで聞いているうちに子恥ずかしくなるのだが、好きな相手からもらうとやはり相当に嬉しい。
今度は私も作って見ようと、
そして誰かにそのプレイリストを贈ってあげようと
心の中で小さく誓った。
「1本あげるよ」
たまの休日を1人でなく、誰かと過ごすとしたら自分のタバコを1本あげられるような人がいい。
昨年の10月からたばこ1箱の値段がまた値上がりしたおかげで、私のご贔屓が450円になってしまった。
他のメジャーラインと比べるとまだ安値と言えるかもしれないが、少しの値上がりも心と財布には大きなダメージだった。たとえそれが2、30円の変化だとしても。
タバコは1人で吸うのも愉しものだが、誰かと一緒に吸うのも別の愉しみがあるように思う。
とりとめもない話をして、談笑する傍で煙る空気がなんともロマンチックに感じるのだ。
もし友人が喫煙者でなかった場合、急に心が寂しくなるように思う。
そして目の前にある灰皿に溜まった吸い殻をみては2人でいるのに1人になってしまったような妙な孤独感に苛まれる。
だからこそ、しがな休日を共に過ごすのは、タバコの愉しみが分かる人であって欲しいと思うのは傲慢だろうか。
このほんの数分間でも、苦くも甘い幸福な呼吸を共感できる喜びを分かち合える相手であれば、22円になった貴重な1本を笑顔で手渡せるような気がする。
もちろん
吸えない人が嫌いと言うわけではないし、
ヘビースモーカーなわけでもない。
でも、
1本の有り難みを分かる相手の方が、
休日の1分の有り難みも分かるような気がしてならないのだ。
無知
幼い頃は、自分が信じているものや信念の範疇にあるものしか見ようとしてこなかったように思う。
レーガン大統領顔負けのアメリカン・ドリームに侵食された私の脳内は、信じていれば必ず成功すると信じ切っていた。世の中の不条理や、やるせない喪失感や虚無を感じさせるようなものはあえて目を向けてこなかったのだ。
具体的な作品名をあげるとするならば、好きな映画は『キューティブロンド』、『プラダを着た悪魔』、『ブリジットジョーンズの日記』で、ドラマ『Glee』にハマり、各シーズンを最低でも5回は見返すような女子高校生で、好きな漫画は『弱虫ペダル』だった。
そんな私もいつしか歳を取り、大学を卒業して都内の会社に就職をした。
なんでもない仕事を毎日8時間こなしながら、週末を迎える毎日にいつからか明日が来ることに喜びを見出せなくなっていた。
昔は毎日がキラキラと輝いていて、お気に入りの通学バックの中のレギュラーメンバーだった分厚い手帳には、1ヶ月のスケジュールがぎっしりと詰まっていて、カラフルなペンでカレンダー一面が彩られていた。
今日が終わるのが悲しくて、明日がやってくることが待ち遠しくて。
声をあげて笑い、喉が枯れるまで泣いたあの日々のようにはもういかないことはわかっていた。
世間や会社が何を言おうが、私は確実に歳を取ったのだ。人生の老化だと確信した。
まちがどれだけ汚いか、社会がどれだけロクでもないか、人がどこまで醜い生き物なのか。全てをわかってきたからこそ、そういう事実をテーマにするような作品を面白いと感じて見るようになった。
くそったれな世の中だな、と心の中で何度も吐き捨てながらタバコを吸う時間の大切さも分かるようになった。
昔の私は幼く、可愛く、キラキラと輝いていて、そして誰よりも無知だった。
今の私は、その時よりかは大人で、可愛くなくて、荒んでいて、そして前よりも幸せだと思った。